【機能不全家族】連鎖の原因は蓋がされたままの悲しみと怒り

アダルトチルドレンの日記
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機能不全家族の連鎖の原因は蓋がされたままの悲しみと怒りです。
悲しくて、怒りたくないのに怒ってしまう。

自分の心の中にある塊に目を背けてきた人たち。子供を愛したいのに、自分のやり方に戸惑う。

自分の番を待っている大人。愛で満たされたいのは大人も同じなんだなぁ。

親、おじいちゃん、おばあちゃん、みんな辛かったねと慰めてあげたい。
そんなわたしはわたしで葛藤中。

 

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軟禁状態だった母はワークホリック(仕事依存症)


引きこもりのおじいちゃんにとって、外出は悪でした。
自分だけでなく、母やおばあちゃんにも無言の圧力で外出しないことを強要し、
子供たちには過干渉だったおじいちゃん。

軟禁状態だった母はワークホリック(仕事依存症)でした。
家では仕事をするかノンフィクションの本を読み、
ボロボロと泣いて過ごしていました。
母の意志はないも同然で、
わたしの下にできた三番目の子供を産むことさえ許されなかった。

 

大好きなおじいちゃんは精神異常者

教師をしていた両親の代わりに
引きこもりのおじいちゃんと
パートに出ていたおばあちゃんが
私たち姉妹の面倒を見てくれました。


おじいちゃんは精神異常者でいつも不機嫌でしたが、わたしの前では時々笑ってくれました。
稀に機嫌がいいとしてくれるおじいちゃんの若い頃の話を聞くのが嬉しくて、わたしは一緒にいてくれるおじいちゃんが大好きでした。
おじいちゃんはいつも見えない恐怖に怯えていていました。
幻覚が見えているのか、
誰もいない壁に向かって喧嘩をしているかのような態度をとったり、
孫に向けられた過干渉は度を超えていました。

 

孫の習い事は勝手に辞めさせ、
「出かけると殺される」孫にもそう教えました。
家では10分おきに
「なにか悪いことはしていないか」と部屋に確認に来ました。

 

おじいちゃんにとって、
家族がゆっくりお風呂に入ることさえも悪でした。
思春期に入ったわたしがゆっくりシャワーを浴びていると、
給湯器の電源を消され、浴室の電気も消されました。
そんなことをされても、
言い返すと包丁を向けられたこともあるのに、
わたしはおじいちゃんが大好きでした。

 

おじいちゃんはなりたくてそうなったのではない


怒れる事も沢山あったけれど、
おじいちゃんとわたしの気持ちは純粋な愛情だと信じたい。
一緒にいてくれる安心できる相手、
共依存だったのだろうか?ふと考えてしまいます。

おじいちゃんは見ていて可哀想でした。
母に向けられたおじいちゃんの圧力が日々そこにあるのを
子供ながら感じていたけれど、
おじいちゃんのことも母のことも大好きでした。

 

連鎖する機能不全家族

父に対しては、気軽に接することができなかったです。
その不機嫌な顔と突然烈火のごとく子供を叱りつける父に萎縮した子供。
けれどそんな父の父は、ひきこもりのおじいちゃんなのです。
おばあちゃんはおばあちゃんで、
親が決めたというおじいちゃんとの結婚を受け入れ、
陰ではおじいちゃんのことをキチガイと言い
腫れ物に触れるように接していました。

父だけは自由でした。父だけは誰からも咎められなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんは教師になった息子を褒めていました。

わたしは父がおじいちゃんを怒らせないよう波風を立てないように
接していたのを子供ながらに感じていたけれど、
いつか【あんたに何をしてもらったことがあるか!】
と怒った父を一度だけ見たことがありました。
何も言えなかったおじいちゃんの顔と
怒っているのに悲しそうな父の顔が忘れられないです。

ひきこもりの父を持ち、小さな頃から親を困らせないよう、お利口にしていた父もアダルトチルドレンなのでしょう。

 

普段怒っているのが普通だったおじいちゃんは
父には気を遣っているようでした。
父がまだ学生の頃から働かずに家にいたおじいちゃん。
それを責めなかった父に対して
おじいちゃんは後ろめたさがあったのかもしれない・・
わたしはそんな風に感じるようになりました。

 

連鎖する機能不全家族。
そこに建設的な会話はありませんでした。
これが周りからは普通に見えていただろう、うちの日常でした。

 

子供が育つ環境の影響力は想像以上に大きい。
それが自分とゆう人間で立証されてしまった時。
葛藤している人間はその瞬間だけで一杯いっぱい。
落ちて落ちて、もう戻ってこれないんじゃないかというところまでいって
消えたい、死にたいを繰り返して、
毎日生まれ育った家のことが頭から離れない。
今もこうして考えながら。

 

行動には必ず原因がある

一歩外側に立って眺めてみるようになった
わたしが気付いたこと。
【一人一人が育ってきた背景や
どうにもならない事への憤り、
世の中に散乱する負の感情たち。
連鎖するきっかけは、残念ながらどこにでもある。
世の中にはもっともっと辛い思いをしている人がたくさんいる。】

 

【お母さんだけでなく、
おじいちゃんにもおばあちゃんにもお父さんにも
抱える問題があった。行動には必ず原因がある。
けれども、仕方ないで終わってはいけない。
自分の子供のためにも。】

 

被害者が加害者になる前に

みんながそれぞれ抱えてきた問題があると思うと、
わたしにひどい事を言った家族への
嫌な感情までも許したくなってしまうような、
そんな不思議な気持ちになってしまったり。
けれどもしも、消化されないままの負の感情が、
心の底辺にこびり付き、弱者へと向けられてしまうとしたら?


被害者が加害者になる前に、
私の中にある負の感情と同情とも捉えられる
家族への労りの気持ちが闘う。

どちらが正解とかない。
母を、おじいちゃんをお父さんをおばあちゃんを自分を癒やしてあげたい。
大切なのはこれからのこと。
こんなわたしでも自分の家族ができたから。

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 
 

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