ACの回復フェーズ①過去を振り返り自分を見つめる

アダルトチルドレンの日記
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ここにはわたしがアダルトチルドレンの回復段階で感じたことを書いています。
まだまだ解き放し途中ではありますが、回復している感覚は確実に感じられています。
わたしと同じように生きづらさを感じている誰かの行動のきっかけになったら嬉しいです。

 

  1. ACの回復フェーズ①過去を振り返り自分を見つめる←ここです
  2. ACの回復フェーズ②立ち止まり、客観視することで見えた気付き
  3. ACの回復フェーズ③距離をおく
  4. ACの回復フェーズ④前進と後退
  5. ACの回復フェーズ⑤あと少し?(現在進行形です)

 

どの成長過程にいる自分も、人間関係を築くことが苦手でした。
輪の中で自分を出すのが苦手、
反対に安心する人の前では自分を出しすぎてしまうこともありました。

どう接するのがいいのか、
また何が正解で何が不正解か分からず、
常に自分の意見に自信が持てない。
否定されるのが、そして見放されるのが怖いからです。

誰かと会った日は必ず、自分が相手に対して変な事を言ったりしなかったか、
不快な思いをさせてしまわなかったか振り返り、

自分を責める反省会をします。

幼い頃から感じている、周りとちがう自分。
楽しめない自分。
会話の仕方が分からない。
馴染み方が分からない。
“ちょうどいい”が分からない。

これらの行きづらさの正体が、
アダルトチルドレンとゆう言葉を知って見えてきました。
それはそれは、パズルがはまるかのような感覚でした。

わたしを育てた環境が憎い。
存在を認めてほしかった。
渡を越えた干渉ではなく、
愛しさとしての関心を持ってほしかった。 
会話をしてほしかった。
大人の役目を負わされず、
子供らしく生きたかった。

何度も生きることへの壁にぶつかり自分を見つめたとき、
自分の中に溜まっていた
そんな気持ちが沸々と表面に湧き上がってきて、
消化されなかった感情は、
いくら年月が過ぎても無くならないということを知りました。

そして皮肉にも、
そう思えば思うほど
今度はそんな風に思ってしまう親への罪悪感に苦しみました。

そして今は、
この”親への罪悪感を感じることも
アダルトチルドレンの特徴の一つである”
ということも知りました。

学校の教師をしていた両親の代わりに、
家にいた引きこもりだったおじいちゃんと過ごしました。

家庭の中で建設的な会話はなく、
いつも不機嫌だった父はわたしに
ひきこもりのおじいちゃんの機嫌をとることを任せました。

 

姉とわたしには優しかったおじいちゃんは、
母を嫌って外出させないなど、母には圧力をかけました。

常におじいちゃんの過干渉、
また両親の仕事柄、世間体を意識するようコントロールされ、
子供らしくという言葉とは程遠く育ってきたと思います。

 

 

ACプラケーター(慰め役) | INNER JOURNEY (anco.blog)

 

子供の頃から心のどこかで、
わたしの事を理解してくれる人なんて誰もいないと思っていました。
学校の先生と打ち解けたことすらなかったわたしは、
先生と楽しく会話をしている同級生の事が不思議で堪らなかった。
どうしてそんなに話すことがあるんだろう、
何が楽しいんだろう、
と思っていました。

 

中学までは外では割と優等生で過ごしました。
けれど、とっつきにくい子だと言われました。
ある程度自由で自己主張が必要な高校時代には、
そんな周りの流れについて行けず、
何が楽しいのかも分からず、
進学校だったので周りが将来の夢に向かって頑張っている中で
わたしは夢など見つけられずに、
ただただ、その時をやり過ごす日々を送っていました。

 

早退を繰り返し、過食で紛らし8キロくらい増量しました。
親はわたしが早退していたことや
食べて吐いてを繰り返していたことなど気が付きませんでした。

今思えば、本当にわたしに関心がなかったのだと思います。
自分が親になって思うのは、
”子供には夢を持てる心の余裕と頑張れる底力を蓄えてあげたい”
ということです。
そのためには自分はありのままでいいんだという、
自己肯定感が絶対に必要なんだと思います。

 

 

大人になっても親は認めてくれない。
認められる事もしていないのだから、
と自分を責め続けました。
やる気を持って、
何かに前向きに取り組む勇気と気力を失っていました。

 

子供の頃から姉は要領がよくて、わたしはのろま。
それが実家の共通の認識であり、
わたしは”とろい子だねえ、
バカだねえ”と
口に出して言われました。

 

大人になっても、親は姉の子だけがかわいい。
自分の子と明らかに対応が違うことを母に訴えた時、
母は「(わたしの子のことを)目の大きさが左右違うってお父さんは言うけどねぇ。」
と言いました。
わたしに。

耳を疑いました。
え?そうゆうこと?
見た目のことだったの? 
何が驚いたって、
母がそのままそれをわたしに言う必要がある?

更に両親を理解することが出来なくなりました。
わたしは母に「自分の子は夫の両親にかわいがってもらうからいい」
と泣きながら言いました。
そして母は何も言いませんでした。

 

産後ホルモンバランスの崩れたことも原因だったのかもしれないですが
その頃、母や姉に言われた言葉の数々は本当に虚しくなるようなものでした。

 

認めてほしくて認められなくて、
自分からわざわざ渦の中に入っていった痛々しい過去の自分。
消化されないまま膨らむばかりだった寂しい感情が、
“あなたはここにいてはいけない” と教えてくれたのでした。

 

ACの回復フェーズ②立ち止まり客観視することで見えた気付き

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 
 

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