機能不全家族における感情の取り扱いは複雑です。
家族、今日は母について。
母への複雑に絡まりあう感情を開放して楽になりたい。
「買い物(スーパー)に行ってきます。
何か必要なものありますか?」
母の質問にはいつも“無視”とゆう形で返事がされ、
無言でご飯を食べ、時に「まずい。こんなもの食べられん。」
と言ったおじいちゃん。
お母さんが作ったものをおじいちゃんに美味しいと言ってもらいたかったわたしは
「これおいしい?」と何度も聞いていました。
家の中で起きるいじめ
家族の中でいじめが起きていて、
その環境で高校卒業まで暮らしていました。
その日常を“仕方ない”と諦めていた父は一体何だったのか。
見ないふりをしていたのか、
父は母を置いて、いつだって家に居なかった。
母は父のことを”行方不明”だと言っていた。
父がどこに出かけていようが、
おじいちゃんもおばあちゃんも
自分の息子には何一つ文句は言わなかった。
けれど、お母さんはどこにも行けなかった。
外出はひきこもりのおじいちゃんにとっては
悪だったから。
「家をでようか?」と父が一度だけ母に言ったことがあるらしい。
けれども、母はそれを選ばなかった。現実的に考えて、
帰りの遅い両親には子供を育てるおじいちゃんおばあちゃんが
必要だった。
優しくて繊細で恐怖の塊のようなおじいちゃんと不自由な母
自分の父親がノイローゼだった父は
家の中では波風立てないことだけを考えて過ごしていたように見えたし、
おばあちゃんも含め家族全員が腫れ物を触るようにおじいちゃんに接していた。
私は一緒にいてくれるおじいちゃんが大好きだったけれど、
おじいちゃんがキレてどんなにひどいことをしても
好きと思えるなんて今思うとまさか共依存だったのかな?
真冬に給湯器やお風呂の電気を消されたこともあったし、
言い返したときに包丁を向けられたこともありました。
おじいちゃんは誰もいない壁に怒鳴っていたこともあったし、
見えない何かにいつも怯えて家に引きこもっていました。
それが当たり前でわざわざ親に話したこともなかったかもしれません。
母は家を出ることを選ぶべきだったのだろうか?
けれどもし家を出たら、間違いなく環境は悪化していたと思う。
引きこもりのおじいちゃんが隠し持っていた農薬を飲んでいたかもしれない。
一筋縄にはいかないのが機能不全家族。
やはり父も母も選べなかったのだと思う。
そして、わたしの中で母の“軟禁されて可愛そう像”が確立しました。
母は持ち帰った仕事をするか、仕事の合間にはノンフィクションの本を読み、
ぼろぼろと泣いていた。
ワークホリック(仕事依存性)の母
教師をしていた母は仕事の帰りは遅く、
四六時中何かに追われていました。
帰宅後も夜中まで仕事をして、
ある時から夜は疲れて寝てしまうからと、
朝は4時に起きてまた仕事をしていました。
父や姉に帰りが遅いと責められる度に、
「何でも一生懸命やるように育てられた。
だから一生懸命やり過ぎて帰宅するのが遅くなってしまう。」
と言っていました。
母に悪気はないのだから、わたしは母を責めたくなかった。
両親には遊んでもらった事も料理を教えてもらった事も
殆ど記憶に無いけれど、
それが当たり前の事だと理解して
幼少期をおじいちゃんと過ごした姉とわたし。
平日の夕ご飯はパートから帰ったおばあちゃんが作り、
洗濯家事は引きこもりのおじいちゃんが担っていました。
かえって面倒くさいからという理由で、
おばあちゃんは子供に夕飯の手伝いはさせなかった。
母の味方をしたい気持ちに理由はない
親にどうこうしてほしいとはもう思わない、
育てて貰ったとも思っていないと言う姉は、
母が仕事中心で家の事をないがしろにしてきた事を
いつの間にか父と一緒に咎めるようになっていました。
自分が結婚してみて、
母に対して色々と思うことが出てきたと言っていました。
父は家にいないのに、平日は母の帰りが遅いことに腹を立てました。
「家の事を何もしない」と
おじいちゃんとおばあちゃんがまた母に嫌味を言う日常は重苦しかった。
母は自分が言われていることについて
何も感じなかったのだろうか?
おじいちゃんが食べるものが決まっていて、
食事を自由に作らせて貰えないからではないか?
おじいちゃんやおばあちゃんが母に辛くあたるのを見てきたわたしは、
絶対に母が悪いんじゃない、と思いたかった。
母のワークホリックのこと、
こんな家に居たくないから母は仕事にのめり込んだのだ!と
わたしは自分の中で結論付けたかったのかもしれません。
母が仕事と家に注ぐ熱量のバランスは明らかに異常だったけれど、
わたしは常に母の味方をしたかった。
母を求めることにも理由はない
もっと子供に関心を持って欲しかったとゆうこと以外は、
母をかばいたかった。
母にかまってほしかった。
明らかに普通でない環境で、
足りない何かを常に求めていた。
いつも母の帰りを待ちわびていた。
母もおじいちゃんも好きなのに、
わたしが甘えることは出来なかった。
不安定なふたりを支えるのが
自分の役目だと思っていたのかもしれない。
家事は状況によってはやれる人がやるとゆう選択があるけれど、
子供の心と自己肯定感だけは親の愛情なしに勝手には育たない、
自分が親になって初めて、気付いたことがたくさんありました。
子供の頃に愛されて、満たされて、
自分は大切な存在なんだと条件なしに感じられることが出来て初めて、
安心して世の中に出ていけるようになるのだろう。
幼い頃、母のことが大好きでいつも欲していた。
不機嫌な父は苦手だったけれど、
その生い立ちを思うと父の不機嫌も許してあげなければいけないとも思うようになりました。
結婚して自分の家族を持てた今も、
自分が生きている間に深いところで自分の気持ちを理解してくれる人なんているのだろうかと思う。
一生こんなこと考えて暮らしていくのだろうか。
10年かけてアダルトチルドレンから回復しかけていると思っていた今、
また引き戻されそうで注意が必要。
臭い物に蓋をするだけでなく、
インナーチャイルドをしっかり見つめてあげなくては。
子供には健やかに育ってほしいし、わたしも自由になりたい。
取り留めのない話を・・・
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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