HSPな人にとって思考爆発要素はどこにでも
HSPは一度に多くの刺激を受けることや、
一度に多くの情報を処理することが
とても苦手です。
子供の園や学校、習い事の送迎は多くの人と関わる時間。
毎日のルーティーンなのに
何年経てば緊張しなくなるのだろう。
たった10分の出来事が
人の顔色、声色、その場の空気
誰かの感情や取り巻く空気に敏感らしい。
プラスに生かせたらいいのだろうけど、
空気に飲まれたときは
わたしのせいかな?
勝手に責任を感じてしまったら最後。
そのことで頭がいっぱいになり、
現場で、そして事が過ぎたあとも頭の中で反芻してしまいます。
![](https://anco.blog/wp-content/uploads/2020/12/antonio-poveda-montes-YtoNx53Vc78-unsplash-160x90.jpg)
HSPなわたしがその10分間で考えていること
- 上手に会話ができるママさんたちを
ただひたすら隣で尊敬する。どんな風に育ってきたのだろう?
どんな苦労をしたのだろう?
実家の家族が仲がいいのかな?
会話の仕方の基礎はどこで学んだのだろう?物事には理由があるという信念なので
一瞬の振舞いから誰かの生い立ちまで考えてしまう。 - どうにか普通に見せようとするけれど、
顔が笑っていないであろう自分。失礼な態度を取ってしまっていないだろうか?
変な発言をしないようにと考えているうちに
何が言いたいのか分からなくなって
きっと相手に迷惑をかけている。 - ならば聞き役に徹するべきだと思う。
けれどもずっと黙っているのも不自然かな?と
一度思ってしまうとそれも出来ない。 - 話しているうちに、普通の呼吸が出来なくなっていることに気が付く。
決して相手が悪いわけではないのに、極度の緊張感に勝手に襲われる。うまく息が吐けない→うまく息が吸えない。
会話の途中でこれが来ると、話しているのに声が出ていないという
謎の現象がちらほら・・・ - 危機を感じるほど固まるため、顔面はポーカーフェイス。
片や頭の中はパニックのような状態。
対個人もいろいろ気になってあたふたするけれど、
やっぱり集団の中が苦手。
文章に起こしてみたら、結構考えていました・・・
楽しそうに話している人の中にも
わたしと同じように
内心ものすごく神経を張り巡らせている人
もいるかもしれないです。
なぜなら息が出来なくなっている私でさえ
親しい友達が見たら何事も起きていないかのように見えるよう。
ばれてないんだと心底救われた気持ち。
けれど、きっと喜怒哀楽の少ない
ポーカーフェイスの様に映っているんだろうな。
![](https://anco.blog/wp-content/uploads/2020/11/mike-kenneally-tNALoIZhqVM-unsplash-160x90.jpg)
HSPにとって、考えない・感じないことが一番難しい
目が合えば、近くを通れば、
必ず挨拶はするようにしているけれど、
内心構えて気が張っているため、
自分が思っているより顔は笑えていないかもしれない。
”いい感じ”に
深く考えずその時その時を過ごすことが理想。
けれど考えない・感じないことこそが一番難しいと感じるHSP。
じゃあどうする?
他人軸な不安よりも自分の時間を大切にしようと考えてみる
HSPがその都度感じたことすべてを重く捉えてしまうと
HSPの特性がネガティブ一方に転ぶのではないかと思っています。
物事を軽く捉えすぎるのも時にはマイナスですが、
重く考える癖がつくと、人ってどうしても表情が硬くなってしまうんですよね。
まさに、取っ付きにくいという弊害が起きます。
HSPに思考の終着点はない その特性を受け入れる勇気を持とう
色々気になってしまうHSPですが、
「相手は自分ほど気にしていない」
頭に留めておくと安心できる気がします。
ここなら大丈夫という場所、環境をまず自分が知ることも大切だと思います。
わたしも模索中ですが、HSPとしての自分を理解することで、
少しずつ生活しやすい環境を育てていけたらいいなと思っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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