完璧主義になりがちなアダルトチルドレン
寂しさを満たすことができずに育ったアダルトチルドレンは、
愛情が注がれない理由を自分がちゃんとしていないからだ、
と心のどこかで結論づけているように思います。
わたしの場合ですが、大人になってもそのループから抜け出せず、
周りの人に褒めてもらった時にも素直に受け取れないのです。
いつも何かに焦っていて気持ちが落ち着かない。
その理由はちゃんと出来ていない自分、
そんな気持ちが根底にあるからなのだと思います。
簡単な間違い、
特に人と関わる事柄においてちょっとしたミスなどがあると、
本当に恥ずかしくなって、
重大な過ちをおかしたかのように捉えてしまいがちです。
もっと気楽にいたいと思うのですが、
こんな自分では相手から落胆されてしまう、
そんな風に嫌われるのを恐れているのだと思います。
このような理由から、
アダルトチルドレンは実際に
完璧にできるかできないかは置いておいて、
気持ちは常に完璧主義になってしまうのではないか
と自分なりに分析しています。
他人軸と自分軸
誰かと約束がある日、ちょっと気分や体調が優れないとします。
あなたならどうしますか?
わたしは自分が無理してでも
約束を守らなくてはと自分を追い込んでしまいがちでした。
勿論、約束は約束として守るのが人間の道理です。
けれど気分が落ち込んでいる時に無理をして約束通り人と会い、
雰囲気で伝わってしまうことも。
このように必ずしも良い結果になるとは
一概に言い切れません。
情けないのですが、
子連れでゆっくり楽しむことができないような誘いにも、
断われないまま子供と出掛けた結果疲れて帰ってくる、
そんなこともよくしていました。
これも先程のミスをしたときの話と同じ、
相手に落胆されたくないという理由からです。
自分の意思をはっきり伝えることが苦手なのは昔からなのですが、
これを続けていたら自分のためにも子供のためにも良くありませんよね。
自分にも家族にも与えられた時間には限りがあります。
半年ほど前に一度勇気を出して、
ちょっと今のわたしにはそこに行くのは難しいんだ
(勿論言い方には十分気をつけて)と話してみたんです。
すると、とってもスッキリ。
話す前は何日も何日もモヤモヤ堂々巡りに考えていたことが、
いざ話してみると言えた自分を褒めてあげたい気持ちでいっぱいでした。
できない約束はしないこと。
とてもシンプルな思考。
勿論相手の反応は気になりましたが、
必ずしも相手に合わせることだけがいいのではない。
わたしが無理して続けるような関係ならば、
これからもうまくはいかないだろう。
それに相手に振り回されていると勝手に思っていたのは、
他人軸だったわたしの引き起こした被害妄想だったということにも気が付きました。
無理して人に合わせて、落ち込む必要はないのです。
他人軸で生きてきた人は少し思い切るくらいの方が
いいのかもしれません。
不安や心配はイライラに繋がる
我慢したらその分不満が溜まります。
例えば先程の話で、断わるのが苦手なこと。
他人軸で世界が回っている場合、
自分より他人を意識して生活しなければなりません。
必然的に心に余裕は無くなり、
余裕の無くなったこころはイライラし始めるます。
人に頼まれごとをされて、ちょっと難しいと思いながら断われない。
なんて返事をしよう?やっぱり断るなんて駄目かな?
返事ができないまま、頭はそのことでいっぱいになります。
そんな時に何故かタイミング悪く騒ぎ出す子供
わたしのイライラはどんどん大きくなり
子供への話し方などでそれは容易に伝わってしまいます。
大人にならないといけないなぁと思う課題のひとつです。
できることはやる。
けれどもどんなに考えても、
できないことはできないのです。
対人ですとなかなか難しいのですが、
できるだけシンプルに捉えていきたいものです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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