思い出すのは不機嫌な父の顔。
わたしが話せば、やかましい、だまっとれ!テレビがきこえん!
突然噴火したかのような、酷い剣幕だった。
子供の話したいことや意見なんてどうでも良かったのだろうか。
いつでも父は頭ごなしに叱った。
学校はどうだとか、普通の会話をした記憶はおろか、遊んでもらった記憶は何一つない。
学校の教師をしていた父は、皮肉にも自分の子には全く関心がなかった。
父のことを考えると、恐怖と寂しさで心がえぐられるような誰にも言えない秘密を持っている感覚になる。
アダルトチルドレンの葛藤
大人になったわたしは、自分の育った家を見つめるようになった。
その結果、父への嫌な感情と同時に同情の気持ちが押し寄せてしまうことになった。
厄介だ。
昔よくおばあちゃんが話していたのは、子供の頃の父の自慢話だった。
何も言わずきちっと座っていたとか、わがままなど何一つ言わない出来た子供だったとか。
その結果、いまの父が出来上がった。
人生かけての反抗期だ。
「ワシがあんたに何をしてもらったことがある!」
一度だけ父がおじいちゃんに反抗したのを見たことがある。
何も言い返せないおじいちゃんがそこに佇んでいた。
わたしはその表情を鮮明に覚えている。
おじいちゃんは精神病を患う、いわゆる引きこもりだった。
病院に行くことを酷く拒んだので診断こそされてはいないものの、結果は誰が見ても同じだっただろう。
おじいちゃんは、若い頃知人の車に乗せてもらった際に交通事故に遭い、頭が割れてそのせいで働けなくなった、とよく話していた。
そして左足は、曲がっていた。
母曰く小児麻痺が原因だと言う。
歩くときはびっこを引いていた。
けれど姉やわたしには自分の足のことを子供の頃に釘を踏んだからだ、と何度も何度も話した。
交通事故の頭が割れたというのは、実際にはそんなことはなくむち打ちで済んでいたらしい。
おじいちゃんはその事故を機に洋服の仕立て屋の仕事をやめてしまい、おばあちゃんがパートをしながら父と叔母を育てた。
おじいちゃんは、常に恐怖に怯えていて、それは幼い子供にもはっきりと分かった。
家に引きこもり、家から出ると殺されると日々唱えていた。
ニュースで事件が報道されると「出かけるから殺されるんだ」と自分の答えが正解したかのように言った。
アダルトチルドレンの生きづらさ
父の事が好きになれないのは事実だけれど、自分の父親が引きこもりであることを受け入れ、社会からはみ出ることなく職を持った父を慰めたい気持ちになる。
過去を紐解いてみると、皮肉にも同情してしまう自分がいた。
あの発言の通り、自分のために父に何かをしてもらった感覚がない父が、自分の子に優しくできるはずが無いのかもしれない。
年月が過ぎても、満たされない心はまだそこにあるのだ。
その感覚が手にとるように分かってしまうのが、わたしも含めアダルトチルドレンの生きづらさ、悲しみ、怒りなのだと思う。
けれども、外側から見つめる勇気を持つことの重要性に気付いた人には可能性があると信じている。
インナーチャイルドとの対面
過去やいまの生きづらさや悲しみを紐解く作業の工程は、思った以上にカオスだった。
落ちるところまで落ちる感覚。
大人になり自分の家族を持ち、せっかくここまで這い上がって来たと思ったら、ある時ふとそいつが悪さをする。
もう戻ってこれないのではないかとゆう恐怖さえある。
それでもわたしは諦めたくない。
機能不全家庭の連鎖を絶ちたい。
心の底辺に敷かれたしこりを溶かし、親や他人の顔色を伺う他人軸の人生ではない、自分の人生を生きてみたい。
夫と作った”自分たちの家族”が平穏に暮らせるように。
自分とそれに纏わりつく世界から逃げたかったわたしは、藁をもつかむ気持ちで家族療法カウンセラーの勉強をした。
説得力を備えれば解決する力になると思い、資格を取った。
アダルトチルドレンを生み出すアダルトチルドレン
わたしは勇気を持って訴えた。
相手にされないことは本当は分かっていた。
わたしの記憶ときっちり蓋がされている父の記憶を上書きしたかった。
けれど、物心ついた頃から家族に”とろい”と言われてきたわたしの意見など聞いてくれる人は、誰一人そこにはいなかった。
時代の流れ、昔はそうだった、という人もいるだろう。
それを仕方ないで済ませた結果、悲しくも虐待の多い日本になってしまったのではないだろうか?
本人が自覚し変わろうとしなければ、機能不全家族の連鎖は止められない。
アダルトチルドレンをただの”現象”で終わらせてはいけない。
お互いを傷つけ合う以外の生き方をしたい、と思うのは間違っているのだろうか?
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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