自分が子供を叱っている姿。
ママ友達に見せた事がありますか?
なるべく家の中と外で、
子供への態度を変えないようにしたいと
心がけている方も多いのではないでしょうか。
わたしも同じです。
けれども、やはり一歩外に出ると、
周りの目や周りの迷惑が気になってしまい、
家で叱る時よりは冷静になっているのかもしれません。
冷静=諭す?
わたしが子供を叱った時に、
ママ友達に言われたのは、
「優しい。
諭していて偉い。
わたしはもっと怖いから。」
でした。
感情的になっている姿を人に見られたくないのは、
誰でも同じだと思います。
自分が子供を叱っているところをそのママ友達に見せたことで、
ああやっちゃったなぁという気持ちでいっぱいだったので、
その言われた言葉が信じられませんでした。
わたしはわたしなりに確かに感情的になっていて、
あれは「諭していただけ」ではなかったからです。
感情的になるのがいいとも思えないですが、
叱れない親が増えたとか、
諭すだけの親が子育てに失敗したとか、
色々耳に入ってくるので、
わたしはわたしなりに
優しく諭すだけではない方法を選んできたつもりでした。
自分が叱れないことで、人に迷惑をかけるのも怖いです。
叱れない親が、、
と言われる時代に
「わたし本当に子供に怖いから」
と言うママさんは、
ある種の子育てに対する自信なのかもしれない。
最近そんな気がしています。
「ちょっと言い過ぎじゃない?」
夫に言われ、子供に対してもう少し寛大になるべきか、
なんて考えたりもしていたので、
今回のことで本当に分からなくなってしまいました。
わたしは確かに怒っているのに、
我が子を目の前に叱っているのに、
優しいと言われてしまい、
もうどうしていいのか分からない。
夫に相談すると、
「今のやり方でいいと思うけどなぁ。
家庭はそれぞれだし。
その子に何が合ってるかでやればいいと思う。」
うーん。
そうだよね。
でも、
“その子に合っているか”
これがとっても難しくて。
なぜなら、答え合わせにとっても長い歳月を要するから。
その子が精神的にも成長して、
1人前に成人して
分別のつくまともな人間に育ったかどうかなんて、
このやり方で合っているのか、
正解が分からないまま
子供とそれを重ねていく。
結果が一度に出なくて、
少しづつ垣間見える部分から感じ取りつつ、
手探りでしていく育児。
「冷静、落ち着いている
何があっても顔色を変えずに
冷静に受け止めてそう。
時々そんなふうに言われることがあります。」
で書いたことにもリンクしている気がします。
普段感情の起伏が少ないように見られる方は、
必ずしも心の中も同じく平静とは言えないかもしれません。
わたしが人前で怒っているにも関わらずそう見えないのは、
人に感情表現をするのが苦手なことが原因なのだと。
それに加えて、
育児に対する自信のなさが原因なのかもしれないとも思いました。
わたしが父親に叱られる時は常に頭ごなしでした。
諭されることも、
厳しく、優しく、注意されることも知りませんでした。
常に理由など聞かず、頭ごなしに叱られました。
向き合おうと、話をしてくれた記憶はありません。
高校生になり反発し、
常に不機嫌な父親を更に激怒させたことはあっても、
それ以前に小さい頃はいい子でいるしかなかったのかもしれません。
わたしは、
子供に対して、
向き合おうとすればするほど
厳しくなり過ぎて、
干渉し過ぎてしまうのを変えたいと思っていました。
ならば反対に諭そうとすれば子供に
甘く見られてしまうのでしょうか?
普段のコミュニケーションがあるかないかで、
子供からの信頼があるかないかで、
そこは乗り越えられるのでしょうか?
自分の子供への叱り方が分からなくなってしまいました。
自分は怒っている、
または叱っているにも関わらず、
そうゆう風に見えないと言われてしまう場合、
どうしたらいいのでしょうか?
「普段怒らないあんたが怒ると、親戚で一番怖い」
と言われたことがあるのに。
課題山積みですが、
自分と子供の関係を築きながら、
それを探していくしかないです。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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