親戚関係のトラウマ。
ある失敗から過去の出来事が思い出され、
親戚関係について考える事に疲弊しているわたしの解決策はあるのか?
親や親戚に関して、
自分が何かミスをしていないか?
大丈夫かな?と考え始めると止まらなくなってしまう。
今日はそんなへなちょこなわたしの
どうでも良いようでそうなれない話を書いてみようと思います。
ミスしてはならない親戚の慶弔
田舎に生まれ育ち
普段会わなくても親戚と呼ばれる人の数が多いこと
慶弔関係、誰それのお見舞い、
必要な対応にヌケがあってはいけない。
何かミスをすれば、
〇〇は~してくれなかったと皆の前で言われてしまう。
わたしが言うのもなんですが、
新婚のあなたにおすすめしたいのは、
お付き合いの濃い親戚がいるか親に聞いておくこと。
また、慶弔管理はエクセルで管理するといいですよ。
嫁に出た瞬間からすべて自分の責任
もう大人だし、気が付かなかったわたしが悪いです。
けれど親戚に出す花輪がわたしからも必要ならば
予め親から教えてほしかったという本音。
結婚当初、そういうルールをよく知らないまま
責任はわたしにありました。
嫁に出た瞬間からすべては自分の責任なのです。
皆の前で言われたり、
陰で言われたり、
聞こえるように嫌味を言われたり。
一度親戚付き合いで失敗すると大変なことに。
しっかりしなければと思ったのは一瞬で、
それを越えてこの10年間
いつでも気にしてしまう状態になってしまいました。
わたしのように失敗しないためにも、
結婚したら一つの家庭を持っている実感を
親戚関係も考慮しながら持つといいですね。
失敗がトラウマに
それ以降わたしの中で
【親戚関係の慶弔に関しては絶対にミスしてはいけない】
という思いが強いです。
常に親戚関係に失礼になってはいけない。
そういう気持ちが時折押し寄せてきて、
思考が止まらなくなってしまいます。
誰かの法事、そろそろ誰それの何回忌?
海外にいて自分で前もって親に確認しなければ
うっかり過ごしてしまいそうで
急に思い出しては不安になって
パソコンを起動させ慶弔メモを確認するような生活。
そろそろ親戚の法事の時期だった気がしたので、
親に確認したらまさか、
「あの時はごめんね」と言われました。
あの時親戚の前でわたしをかばわなかった親は、
自分たちが子供に教えるべき事だと
自覚していなかったと思います。
何年も経った今ごめんねと言われてびっくりしましたが、
わたしがあまりに親戚関係を気にしているからかもしれません。
親が少し考えたら分かること。
親戚の慶弔事情、
改めて自分の子供にはよく教えようと思いました。
不安を生み出す環境というものはある
「あんたは考えすぎだから」
実家の家族は笑いながらわたしのことを言うけれど、
そうなったのは、考える必要があるから。
誰も教えてくれないとわたしは学んだから。
けれども、ヌケが無いように気を付けることが
トラウマによって度が越えているようで
苦しい。
身近な親戚の影響力は留守の親より大きい
中には優しくしてくれる親戚もいました。
けれど、ほぼ毎日家に来ていたおばさんは
面倒見はよかったのだろうけど、意地悪でした。
「悪いことしてはいけないよ。親が恥をかくから。」
顔を見る度言われ、
悪いことをする前から怒られているような気持ちでしたが、
それが当たり前で言い返すとかはしませんでした。
ひどい時には小学生のわたしに
「〇〇ちゃんに友達がおるの?」
なんて嫌味も。
普通に考えたらそんなこと言いませんよね。
もう笑うしかありません・・・
【大人からダメな子供だと思われている】
こういう潜在意識は、
日々かけられる言葉で出来上がっていくのだろう。
大人になって急に潜在意識が消えることはないし、
その劣等感で親や親戚にダメだと思われることへの恐怖心を
必要以上に持っているのかもしれない。
親や親戚関係のことで頭がいっぱいになると
過去に親や親戚に言われた言葉も思い出してしまいます。
時が経っても上書きされないものがある、
言葉の影響力って大きいです。
話題にできないけどわたしにとっては大事な話
友達とこういうことは全く話さないので、
親戚関係のミスを恐れる恐怖をだれかと分かち合うことは
この先もないのだろうな。
夫の実家の親戚関係はもっとやりやすく、
はっきり必要か必要でないかをアドバイスくれるので
助かっています。
親戚関係に疲弊しないために
〇ダメと思われてももういい
〇会った時にちゃんとする
〇慶弔管理は今まで通りやる
会ってないのに疲弊するなんて損。
時間を無駄にしないためにも、
この3点を心掛けていこうと思います。
とりとめのない話を最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
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