いじめ、する側が冗談と思っていても

機能不全家族
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いじめって世の中の負の感情の塊なのかもしれない。
母も姉も冗談でわたしに意地悪をした。
わたしにとっては悲しいことなのに、
「それがわたしだと」、冗談で終わってしまったのはなぜだろう?

会社でも家庭内でも、ストレスがある場所にはどこにでも
負の感情がある。

何か怖いか。

同じ環境にいるのに
いじめに気付かず止めることができない、
もしくはそれが悪いことだという自覚がないことなのでは?

人と人との関わりが希薄になっている
現代の社会のあらわれのような、
国丸ごとの生活習慣病のようなものであるようにも思ったり。

大切なひとををしっかり見てあげると、
小さなSOSに気付けるにも気が付けるかもしれない。

見えなかったものが見えるようになったり、
救えなかった命を救えるということも
あるのかな、なんて思う今日この頃。
言うまでもなく、見て見ぬふりは、容認していることと同じ。

自分の大切な人に心配をかけないよう、ひたすら我慢をする子。
本当は誰かに知ってもらいたいと思いながら
たったひとりで耐えることの孤独は闇。

本音を言えず苦しい思いをしてまで、自分を追い込まないで。
悲しい優しさで蓋をされた本当の気持ちを
隠し通すことができない世の中になって欲しい。

誰かをいじめていても、
家ではいい子に振る舞う子。
こちらにも闇が潜んでいると思います。

いじめは絶対によくないけれど、
負の気持ちの連鎖から起きているのが悲しい現実だと思う。

どうしていじめるのか?

自分より弱いと思っている相手に強く態度を見せることで、
自分の価値を確認できるのだと勘違いしているから?
自分で自分の価値を感じることができないから?

こんな理由も少なくないと思います。

自己肯定感の低さや感じている
ストレスを他人にぶつける、
自分の慰め方が分からず
他人の気持ちまでも破壊してしまう。

 

わたしが小さい頃の記憶。
母と姉は先に車に乗り込み
まだ車に乗れていない私を置いて出発しては
二人で笑っていました。

わたしを置いて50メートルほど坂道を下って、
酷いときはそのまま国道まで出て、
追いかけるわたしの前をゆっくり走って
暫く止まってくれないこともよくありました。

幼かったわたしは、
置いていかれないように必死でした。
置いていかれるターゲットはいつもわたしで、
それは姉に入れ替わることは一度もありませんでした。

二人はいつも笑っているのです。
母は学校の教師をしていましたが、
落ち着いている大人というよりは子供みたいな部分が強い人です。

一方で母はおじいちゃんからひどいいじめを受けていました。
わたしは母のことが大好きでいつも母を求めていました。

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当時わたしが何と訴えて
母が何と答えたかは覚えていないのですが、
それがわたしだと、冗談で終わってしまうのでした。

わたしが乗れるはずの車を追いかけて走っていたこと、
母と姉の笑っている顔ははっきり覚えています。
わたしは家庭内でいつもそういう立場でした。

アンタそんなこと根に持っているの?
母も姉も冗談のつもりだった、そう言うと思います。

当時は嫌だと思ってもそれが日常だったけれど、
冗談で許されることなのかな?って今は思います。
大人になって、子供を育てるようになった今、とても考えさせられます。
他人でも家族でも、やる側が遊びだとしても、
本人が悲しいと感じることは絶対にしてはいけないと思います。

どんな人間にも人権があります。
どんなに幼くても、人を人として扱うこと。
やられた側は冗談では終わらないってこと。
残った記憶はその人の一部になるのです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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