【言葉の虐待】弱い大人の感情に左右されて飛び出る凶器にもなる言葉たち

機能不全家族
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悲しい言葉たちに自己肯定感を奪われた子供は、意気消沈し、
自分はだめな子だと認識するようになります。
もしも言葉の虐待が日常化されていたら、
純粋な子供は傷付きながらもそれを当たり前の日常として受け取るしかないのです。

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言霊のもつ力

言われて嬉しい言葉
ほっとする言葉
悲しい言葉
どうにも怒れてしまう言葉

嬉しい言葉は言われると気持ちが優しくなって、
周りまで明るくしてくれますね。
誰でも一度は経験があると思います。

嬉しい言葉がたくさん使われると、
その場の雰囲気に嬉しい気持ちが伝染し、
自分に関係のない事であっても
不思議と気持ちが優しくなれるものです。

ですからそうゆう環境にいると、
自分も相手にとって気持ちのいい言葉を使いたくなります。

言葉はただの音ではなく、それを放つ人の思いが乗っています。
嬉しい言葉が人を幸せにするのは、
放たれた言葉と一緒にそれに乗った言霊も
一緒に受け取っているからです。
言霊のもつ力です。

そのことは日常生活において、
大人同士、子ども同士の会話でもあっても
感じる機会がたくさんあると思います。

大人と大人、子どもと子ども
この対等な関係でさえ、
相手を優しい気持ちにさせたり、
反対に相手を傷付けることも簡単にできてしまう。

先程は嬉しい言葉について書きましたが、
反対に悲しい言葉は、どうでしょう?
相手を気付ける言葉、侮辱する言葉。
もしそれが大人から子どもに向けて使われてしまったら?

子供の立場は弱い。 弱さを持った大人の感情に左右されて飛び出る 凶器にもなる言葉たち

子供がそれなりに成長して、
親に違和感を覚えるようになるまでには
時間がかかります。

もし言葉の虐待が日常化された
ルーティーンになってしまっていたら、
純粋な子供は傷付きながらも
それを当たり前の日常として受け取ります。

まだその頃の子供には親が間違っているかもしれない
などという疑問を持つ術がありません。
悲しい言葉たちに自己肯定感を奪われた子供は、
意気消沈し、自分はだめな子だと認識します。

子供が持つ大人のイメージ

例え大人が軽いつもりでいても、
言われる側の子供は
ひたすら受け取るしかありません。
それを”正しいもの”として。
何故なら、まだ幼く親からの保護が必要とされる子供にとって、
親は正しい存在であるという暗黙の知識があるからです。

これは子供のころから経験的に備えた知識であって、
言葉でうまく説明できないような、
経験知と身体知の中に含まれている概念なのだと思います。
この世に出てきてから
ずっと自分のお世話をしてくれる人
=親
=いつでも正しいことだけを教えてくれるはずの
人生のお手本

知らずしらずのうちに、
そんなイメージが確立していると思います。
この暗黙のイメージ。
自己肯定感の低い
アダルトチルドレンな親にとっては
とても大きな壁だったりします。

子供と向き合うために、
まず自分の気持ちをコントロールできる自分
でいなくてはいけない。

わたしが1番苦手なこと。
自分の本当の気持ちを
感じることなく大人になってしまった
アダルトチルドレンは、
感情のコントロールが苦手なのです。

そしてどんな人にとっても、
いつでも正しい親で居続ける事は
大変なことだと思います。
けれども、大切なのは繰り返さないこと。
わたしたちがアダルトチルドレンだと気付けたのは、
機能不全家族を連鎖させないためだと思っています。

放った言霊は自分にかえってくる

浴びた言葉は脳にインプットされ、
記憶として残ります。
言葉は受け取る側だけでなく、
それを放つ本人の脳にも
インプットされるのだそうです。
=誰かに向けて放った言葉を
自分の脳が自分に言われていると
勘違いをする。

悪口を言う人はストレス発散をしているように見えて、
実は相手も自分も傷付けているのです。

叱るときは行為を否定しても、 本人を否定しない

例えばわたしが上の子を叱る時に使う言葉。
上の子が自分が言われたように
下の子に言っているのを聞いて、
はっとすることがよくあります。
下の子は、怒って言い返すか、泣くか。

このように
言われた言葉はその人の中に入り、
その時がくると外に向けて放たれる
ということを
些細な日常の中にも、感じることができます。

子供をしかる時は
頭ごなしに上から言いたいことをぶつけるのではなく
言葉を選ぶことで、
その子の行為自体を否定し、
心までは傷付けない。

立ち止まることができたなら客観視してみる

小さな頃からおばあちゃんやおばさん、
姉に意地悪な言葉を浴びせられながら育ったわたしは、
自分が言われたような言葉を
友達に向けて使ったことがあるのではないかと思います。

小さな頃は気にしていなくても、
今振り返ると
申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

そんな後悔を自分の子供にさせたくない。
そして子供にはわたしが小さい頃言われたような言葉によって
傷付いてほしくありません。

わたしに放たれた言葉は
きっとおばあちゃんやおばさん、姉も同じように
身近なところで耳にしてきた言葉なんだと思います。

だからこそ。
もしコントロールできない自分に悩んでいるのなら、
こうやって立ち止まることができたなら、
弱さを持った大人の感情に左右されて飛び出る、
凶器にもなる言葉たちの怖さを
一度考えてみてほしいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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